彼女の話

ランドリー・ニューヨーク

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彼女はこたつ布団をようやく剥がした。
寒がりの彼女にようやく春がやってきたというわけだ。

ある夜こたつ布団を持ってコインランドリーへ向かった。
車が使えないので、イケアの大きな青い袋に入れ自転車のカゴに乗せて
フラフラしながらなんとか運ぶ。


脇に自転車を停めながら乾燥機が吐き出す風を浴びる。

「ランドリー。それはニューヨーク。」
今でも彼女がコインランドリーのそばを通る度に呟くことばだ。


彼女は20代のごくごく初めの頃、1ヶ月ほどニューヨークに滞在したことがある。
短期留学というわけでもなくただプラプラしに行った。
その為に貯金の大半を使い果たしたが、
結果彼女はあまりニューヨークが好きにはなれなかった。

街全体がなんだか分からない色んなパワーで溢れていた。
東京にも行ったことのない彼女だったから超高層ビルのすべてが彼女を飲み込むかに思えた。
こわくてたまらなかった。

一か月間、彼女はひたすら美術館や博物館に通ったが、
残念なことに大好きなはずのその場所でも楽しさよりも疲れが勝った。
人も作品も作品が訴えてくるものも多すぎた。

当時まだ全く英語が話せなかった彼女に対してニューヨークは冷たかった。
みんなどれだけ忙しいのか、彼女の言葉を待とうとは、理解しようとはしなかった。


彼女は帰りたくなっていた。

唯一優しくしてくれたのは老舗ポスター専門店の何人だか分からない主人だった。
彼女はそこでチャップリンのポスターを買った。
この主人はチャップリンみたいなちょびひげを生やしていた。

主人は彼女が英語がほとんど分からないことを察すると、
とにかく自分は君の敵ではない、というように
(危険な街でもあるこの場所では彼女はいつも警戒して歩いていたから)
ニコニコ笑ってポスターをみろ、とすすめた。
優しい単語で、カテゴライズされているらしいポスターの配置を説明した。
”Action,Comedy,Classic,Drama…”


Dramaの単語を聞き分けたとき、ふいにある匂いを思い出した。
このニューヨークを歩いているといつもいつもどこかしらに必ず漂っているあの匂い。

「ランドリーの匂い。」

ふいに呟いた彼女をみて、主人は彼女が探したかったジャンルが見つかったのだと勘違いし、
どうぞ、というように手を差し出して彼の定位置らしい椅子に戻っていった。

買うものが決まって、ポスターが折れないように筒が欲しかった。
なかなか伝わらずしばらく問答したが、主人は最後には理解して
チャップリンをクラフトの固い筒にいれてくれた。


筒を抱えて歩いていると、あの匂いがまた彼女を包んだ。
ニューヨークでは洗濯物を外に干している人はあまりいない。
乾燥機がよく使われる。

彼女はきれいになったニューヨーク中の洗濯物が
この匂いをまき散らしながら乾かされている様を想像した。
それから彼女の言っていることが分からず困った顔をしたり、
にっこりしてみせたちょびひげの主人を思い出した。


彼女はそれまでニューヨークはすべてが詰まったデイダラボッチだと思っていた。
金、政治、芸術、学術、犯罪、娯楽、希望、汚染、貧困、富、自然、観光、メディア、歴史、欲望・・・
どこをあるいてもそれらあらゆるものの凄まじい引力と出力に圧倒されて、
彼女はそこに生活、があることに気付かなかった。
そこで生きる人たちの洗濯物が回っていると、
あの主人のくたびれた綿シャツが乾かされていると、
そんな当たり前のことを忘れていた。


今ならわかる。
当時の彼女にとってニューヨークに行くには若すぎた。


ごうんごうんと回るたくさんの洗濯物たちを座ってぼんやり眺めながら
そして不思議とあの街のランドリーとよく似た匂いに包まれながら
にやりとして彼女はあの街を懐かしく思った。



ランドリー・ニューヨーク

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