彼女の話

ヘドロの中で

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「ヘドロの中で生殺しにされている気分だ」



僕はこの日、点滴にするか牛乳プリンにするかで悩んでいた。
点滴は今の彼女を直接的に物理的に助けることを明らかだった。
ただし僕の記憶では彼女は牛乳プリンが実は結構好きなのだ。
点滴か牛乳プリンか・・・



牛乳プリンの入ったレジ袋を引っさげて彼女を訪ねると、
彼女は相変わらずせんべいなままだった。
そして少し目を細くして顔をこっちへ向けた。
彼女はひどいド近眼なので、メガネもコンタクトレンズも着けていない時は、
もう人の姿はそのシルエットの印象でしか判別できない。
あるいは今の彼女であれば強盗のシルエットが見えたからといって頓着はしないかもしれないが。


”やあ”と声をかけると、彼女はレジ袋を一瞥して
「こいつもヒマだな…」と言いたげな黒眼で僕を見た。
”言っとくけど僕はそんなにヒマじゃないよ。”
半分死人みたいになった人間にムキになるほど僕も子供じゃないが、
会話のきっかけってやつだ。
彼女は「じゃあ来るなよ」と言わんばかりにそっぽを向いてしまった。
動きがあるだけよりマシかもしれない。


僕は荷物をおろしながらさりげなくゴミ箱に目をやった。
前回来た時と変わりないように思えた。
人は生きていれば多かれ少なかれゴミを出すのに。


テーブルの上に袋から出した牛乳プリンを置いた。
付属されたスプーンもあったが、キッチンから木製のアイススプーンを持ってきて、牛乳プリンの上に置いた。
彼女はプラやステンレスのカトラリーは使わない


”食べてもいいし、食べなくてもいい。”

”君が決めていい。”


彼女の後ろ姿に僕はそれだけ言って腰を上げた。


「ヘドロの中で生殺しにされているんだよ」


彼女はヘドロの底から地上に向けて発したとでも言うように、
ハッとするようなおどろおどろしい声でそう口にした。

僕は昔自分のバスルームを掃除せずに放置し続けた挙句、
この世のものとは思えない壮絶な姿になった排水溝を思い出した。
その小さな排水溝の中で生きることも死ぬことも選べずにもがく彼女を想像する。
臭くて汚くて昏い。
そこで・・・何に誰に。



ヘドロの中で牛乳プリンなんて吐き気がする。

しかしそういうことなのだ。
彼女のこの言葉は、その言葉のままではないのか。
今目の前に転がっている彼女は実際にヘドロの中に居る、と思った方がいい。
ヘドロの中でモノを食べろという人間の方がどうかしている。
だから彼女は今までも最低限しか食べてこなかった。
牛乳プリンなんか持ってきて、どうかしているのは彼女じゃなくて僕じゃないのか。
いや、ちょっと待て、僕は彼女を”どうかしている”と思っていたのだろうか。
だから気づかなかった?


ほんの数メートル先に彼女が横たわっているというのに、
僕はこの小さな空間の中で自分以外の何の存在感も感じなかった。
まるでたった一人で途方に暮れてつっ立っているかに思えた。


僕は何しに来たんだっけ・・・



ヘドロの中で

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記事内の彼女の絵や写真。
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